水素:将来的なポテンシャルと課題
水素には未来の燃料として明確なメリットがある。酸素との反応で生成されるのは無害な水蒸気だけで、温室効果ガスの排出量は(化石燃料と異なり)事実上ゼロだ。
また用途が広い上に、燃料1リットル(あるいは電池と比較した場合1グラム)あたりのエネルギー発生量は非常に高く、飛行機・鉄道・車・船舶などの動力源としても利用可能だ。さらに大量の電力を長時間貯蔵できるため、発電所の燃料、あるいは太陽光・風力発電といった再生可能エネルギーのバックアップ電源としても大きなポテンシャルを秘めている。
自然放電がほとんどない水素は数カ月単位で蓄電が可能
テクノロジー・オーバービュー: 蓄電量と時間
*蓄電量はエネルギー需要の1%未満と限定的
**水素または合成天然ガスとして蓄電
資料: 水素協議会・国際エネルギー機関
水素の活用範囲は、重工業の分野にまで拡大しつつある。鉄鋼製造は、産業セクターが排出するCO2全体の約4分の1を占めている。スウェーデンは現在、水素を燃料とするゼロエミッションの高炉を実験中だ 。
高い環境持続可能性と用途の広さから、水素利用の加速が予測されており、実験的取り組みを手がける企業の価値も急騰しつつある。
資料: Morgan Stanley
現在のグローバル水素市場の規模は1500億ドル
使用目的 ― 2020年時点
将来的に市場規模は6000億ドルまで拡大
使用目的 ― 2050年時点
水素燃料の課題
水素燃料の活用拡大を阻む課題は、これまでの失敗の歴史からも明らかだ。例えば、ゼネラルモーターズは1960年代に最初の水素自動車を開発 。また米国空軍は冷戦開始から間も無い1950年代、水素航空機開発プロジェクトの一環として、世界最大の水素液化プラントをマイアミ北部に極秘建設している 。
こうしたプロジェクトで常に問題となってきたのは、高コストと複雑な設計に伴う実用化の難しさだ。
また製造過程によって排出ガスのレベルが異なる点も課題となっている。燃焼過程ではゼロエミッションを実現可能だが、原料から水素分子を分離する際にCO2が発生する製造方法もある。
現在最も多く使われるのは、メタン(CH4)分子を高温で変換して水素を生成する方法だが、この製造法はCO2の排出を伴う。水(H2O)の電気分解[水電解]によって水素と酸素を生成すれば、エミッションフリーを実現できる。しかしこの方法でも、電源に再生可能エネルギーが利用されていなければ、一定の環境負荷は避けられない。
つまり、スタンフォード大学ウッズ環境研究所のMark Jacobson氏が指摘するように、「水素は環境負荷の低い形で製造・利用されて初めてクリーンなエネルギーと呼べる」のだ。
世界では近年、水素の様々な製造方法(それゆえにCO2排出レベルの異なる)が開発されている :
特に注目に値するのが、再生可能エネルギーを使用した水電解によって生成される “グリーン水素”だ。しかし世界の供給量全体に占める割合はわずか1%程度で、(少なくとも現時点では)群を抜いて最もコストの高い製造方法となっている。一方で今後、再生可能エネルギーによる発電価格が低下すれば、(価格に占める電力コストが6-8割を占める)グリーン水素のコストが下がる余地は充分にある。
製造法別の水素生成コスト(2018年時点)
資料: 国際エネルギー機関
電解槽技術の進歩と規模拡大により、製造コストは低下する可能性が高い。しかし製造には大量のエネルギーが消費されるため、再生可能エネルギーの供給体制に大きな負担をかける恐れがある。また水電解のエネルギー損失は30%と効率性も課題だ。
代替選択肢の一つとなるのは“ブルー水素”だ。分解プロセスにメタンを使用することは変わらないが、大気に排出される前にCO2を回収・分離・貯留・利用可能な点が既存の方法と異なる。日本はCCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage)と呼ばれるこの技術に大きな期待をかけており、オーストラリア南部で豊富に見られる褐炭(水分や不純物などを多く含む、品質の低い石炭)からCO2フリー水素を製造する実証プロジェクトを進めている 。一方、欧州連合(EU)は “グリーン水素”の活用拡大に向けた戦略を推進している。
グリーン水素
再生可能エネルギーを利用し水を電気分解することで、水素(H2)と酸素(O2)に還元。現時点では最も製造コストが高い。
ブルー水素
天然ガスを原料とするが、CO2を大気排出前に回収・貯留・再利用できる。適地の確保が難しいため、CO2回収・貯留(CCS)施設の建設が進んでおらず、普及率が低いのが課題。
グレー水素
現在最も普及するタイプの水素。メタンの水蒸気改質によって製造するが、CO2を回収せず大気放出するために環境負荷が高い。
ブラウン水素
最も低コストで製造可能な水素だが、製造過程に石炭を使用するため、最も環境負荷が高い。
ターコイズ水素
メタンの熱分解をつうじて水素と炭素(固体)を生成する。現時点では大規模な実験は行われておらず、メタン漏出の懸念も指摘されている。
水素は製造方法以外にも、他の低エミッション・エネルギーと共通する課題を抱えている。例えば水素は天然ガスのようにパイプラインで移送することが可能な一方で、軽油・石油と比べてかさばり、より大型の貯留施設が必要となるなど、必ずしも経済性が高くない。また水素ステーションのネットワークをほぼゼロから整備しなければならない点も課題だ。
商業化を阻むこうした課題を前に、プロジェクトの推進に消極的な大手企業も少なくない。例えばフランス・ドイツ政府が水素技術の開発に合計160億ユーロ(約2.1兆円)を投資する計画を明らかにする一方、フォルクスワーゲン CEOのHerbert Diess氏は最近行われた取材で10年以内の水素カー実用化の可能性に慎重な姿勢を示している 。
水素燃料を世界的に普及させるためには、船舶による輸送技術の向上も不可欠だ。日本とオーストラリアの企業が、オーストラリア南部で進める上述のプロジェクトでは、-253℃で液化させた水素を船で輸送する実験を行っている。しかしインフラ構築などに大規模投資が必要となる点は依然として課題だ。Ad van Wijk教授によると、水素はアンモニアとして船で、あるいは液体有機水素キャリアで移送することも可能だ。
水素燃料の将来的ポテンシャル
過去の失敗や多くの課題にも関わらず、水素が主要燃料の一つとして普及する可能性は高まっている。その背景にあるのは、“他に選択肢がない”という切実な理由だ。
これまで水素燃料の商業化に向けた取り組みの原動力となってきたのは、エネルギーの自立や原油価格の上昇など、地政学的緊張関係に大きく左右される要因だ。
しかし現在は、人類の生存そのものを脅かす気候変動の存在が取り組みを牽引している。世界各国はCO2削減に向けた長期的な取り組みを積極的に進めており、昨年にはEU加盟国の他15カ国が水素燃料の研究開発投資計画を明らかにした(企業への補助金が計画に含まれる国も多い)。
オランダ デルフト工科大学のAd van Wijk教授によると、水素をエネルギー・ミックスの選択肢として明記するなど、「2020年には多くの国が具体的構想や戦略を打ち出した」という。「福島の原発事故以降、日本も原子力発電を継続しながら他の電源の可能性を模索している。」
経済性の問題を抱える水素燃料の導入に、企業が二の足を踏んでいるのは確かだ。しかし各国政府は、CO2削減目標達成の鍵を握る企業への研究開発支援を加速させている。今後は政府支援によって研究が促進され、CO2への課税と併せ経済効率性が向上することが期待される。
経済界の思想的リーダーや投資家が描いているのは、まさにこうしたシナリオだ。CO2削減目標の達成には水素燃料の普及が不可欠だという前提の下で意思決定を行う企業も増加している。例えばShellをはじめとする石油大手企業は、グリーン水素の製造に不可欠な電解槽技術の開発に大規模投資を進めている。
こうした投資の成果は、すでに具体的な技術イノベーションという形で現れはじめている。例えばドイツでは、水素をペースト状の物体に貯蔵する技術が開発された。この技術により、輸送のために水素を超低温で液化する必要がなくなり、燃料電池への補給や取扱い面の利便性も向上する見込みだ 。
水素燃料の普及に伴う技術的課題は依然として多い。しかし政府による積極的な取り組みは企業の意思決定にも影響を及ぼしており、こうした課題の克服を後押しすることは間違いないだろう。